立木山について

立木山についてのイメージ画像

立木山の歴史

人皇五十二代嵯峨天皇のお守り、弘仁六年、大師四十二歳の御時、 諸国行脚し給ふ折柄此山に光を放つ霊木あり。 奇異の思ひをなして近寄らんとし給ふに、 前に一帯の大河あり、暫く川の邊りに佇み玉ふ。

不思議なる哉白き雄鹿忽然と出現し、即ち大師を背に乗せ大河を跳び渡り、 霊木の前に導き白鹿忽ち観世音と化現し光明を放ち虚空に消散し玉ふ。

大師歓喜に堪へず是れ即ち我が有縁の霊地ならんと其霊木に向ひ玉ひ誓願を起し、 夫れ人の危難有るは近江国厄除立木観世音は弘法大師の御自作也。 その来歴を尋るに殊に四十二歳の厄年なり、 我れ既に厄年なれば除厄の爲め 且は末世の衆世の諸々の厄難厄病を除き給わん事を祈念し、 即ち立木のまま御身の丈に合して五尺三寸の聖観世音の尊像を彫刻し玉ひ、 其の餘木を以って御脇立毘沙門天、廣目天又は大師の真影に至るまで彫刻し、 堂宇を結び、安置せしめ玉ふなり。

斯かる不思議の霊像なれば参詣の人々諸々の厄難厄病を遁れ 諸願成就せずといふ事なし。 其後紀州高野山を開基し玉ふ、故に當山を元高野山と云ふ。 誠に千二百有餘年の霊地なれば信心の輩には感應まします事疑ひなし、 依て世人は知らしむるものなり。

立木観音略縁起

瀬田川の対岸の山で光を放つ霊木を見つめる弘法大使のイラスト

弘仁六年(815)、弘法大師が諸国を御修行中、近江の国(滋賀県)の琵琶湖から唯一流れ出でる瀬田川のほとりにおいでになりますと、対岸の山に光を放つ霊木があるのにお目がとまり、不思議に思って向かわれた所、瀬田川の急流に阻まれ近づくことができません。

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困っておられた弘法大師の前に白い雄鹿が現れ、大師を背に乗せて川を跳び渡り霊木の前に導き観世音菩薩のお姿に変げされました。

それ以来、麓の渓谷は「鹿跳(ししとび)」とよばれています。

聖観世音菩薩の尊像を彫る弘法大師のイラスト

大師はこんな有難い奇瑞があろうか、これは自分がちょうど四十二才の大厄にあたっているので観音様にお導きいただいたのだと歓喜され、 「おもえば人の世には何人も免れ難い厄難があり、中でも男四十二才、女三十三才は危難の年である。どうか自分の災厄のみならず未来永劫の人々の厄難厄病を救い給え」と心願をこめて、根のある立木のままの霊木に大師の背丈にあわせて聖観世音菩薩の尊像をお刻みになりました。

黄金色に輝き人々や動物たちから拝まれる観音様のイラスト

以来千二百有余年、信心する人には必ず感応ましまし霊験あらたかな厄除の「立木の観音さま」、あるいは「たちきさん」と尊ばれ広く信仰されてまいったのであります。

観音様の功徳

観音様は私達の悩みや願いの声と祈る姿を心眼で観て、その人に応じて様々なお姿に変げして救われると伝えられています。 その中でも立木観音様は、慈悲の根源である聖観世音菩薩のお姿をとられています。 その功徳は老若男女分けへだてなく、 心願成就、病気平癒、無病息災、家内安全等、さまざまな人々の願いを聞き届けられ、 その人の悩みを取り除いた上で、願いが叶うよう手を差し伸べてくださいます。

また亡き人には、極楽浄土に生まれ変われるよう臨終の際に来迎され、お導きくださる仏様でもあります。

立木観音様の御真言

名号「聖観世音菩薩」

御真言「オン アロリキャ ソワカ」

観音信仰のすすめ

人は少しでも病気をしたり、何か心配事でもあると、 神様仏様にお願いする気になりますが、 別に病気も悩みもなければ神仏のことは忘れてしまいがちです。

ちょうど大海を航海中、船が嵐に見舞われたならば、 どうにかして助けを得ようと命かぎりに祈ろうとするでしょう。 しかし、波が静まりしばらくすれば、 今までの気持ちも忘れてしまうようなものです。

病気や災害などいつ何が起きるかわからないのが世の常ですが、 人は何不足のない事態にあっては中々真実の信心は起こり難いものです。 どうしても心か体に手痛い苦しみを受けて、 はじめて救いの道を求めるのではないでしょうか。

観音信仰は大乗仏教の極致、一大蔵経の帰趣、 世の諸々の苦しみ、悩みを救い給う神力、 最勝微妙の尊い教えとして1400年以上も昔から信仰され続けております。

願わくは立木観音さまを常日頃から深く信奉され、 救いの慈悲光に摂取せられますことを念じてやみません。